デキ婚→DV離婚→再婚→離婚予定(←今ココ)

デキ婚で仕方なく結婚した旦那からDVを受けて、やっとの思いで離婚しました。その後、元夫からの執拗な接触に耐えながら、別の男性と今後こそ幸せな結婚(再婚)!だと思ってたんだけどな・・・。

ホームレスになりかけた女子高生時代 その②

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驚いた。

まさか母がはるばるやってくるなんて思ってもいなかった。


母を店の中に入れて、とりあえずおっちゃんに母が来たことを伝えた。



母からも部屋を借りることをお願いする言葉があり、おっちゃんは
実はそういうのが苦手で、「それ(部屋を貸す)くらいしかできませんから」と言っていた。


そして、「お父さんが帰ってくる前に、店(部屋)に荷物を運んどいた方がいいんじゃないか」ということで、おっちゃんに車を出してもらって、
30分くらいのとこにある、それまで住んでいた家に戻った。


布団と衣装ケースに詰めた服、学用品(って言っても、ほとんど学校に置きっぱなし
だからあんまりなかったのだけど)なんかを車にぎゅうぎゅうに押しこんで、
夜逃げのように私は家を出た。

(夜逃げのようにっていうか、夜逃げか・笑)


その日の夜は、私の新しい住処となる部屋に母と二人で泊まった。

そしてその時に、母から父へ電話をかけてもらった。


「マキは私が連れていきます。不登校児の行く学校が近くにあって、マキもそこへ行くと言ってるから、学校も行くのでもう大丈旦那です」

私が母のとこに行く、という嘘をついたのには理由があって、バイト先だとわかると、
また父の職場の人が説得してくるんじゃないかと思ったから。

そして、遠く離れた母のとこに行ったとわかったら、安心して連絡もしてこないだろう、
と思ったから。


こうして私はまた、今までと違う生活に入っていった。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

旦那のDVの話から脱線しすぎてしまったので、私の生い立ちの話はここでいったん終わります。

っていうか、もうそんな“生い立ち”を語るようなこともないかも(汗)
この先は居候生活に入って行くんですが、その話はまたいつか(要望があれば)
書きますね。


次回からは、元旦那との生活の続きに戻ります!

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ホームレスになりかけた女子高生時代

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16年一緒に暮らしてきたと言っても、血の繋がらない私の
たった半年間の高校生活のために、自分の職場からは遠い場所にある
私の通う学校の近くにアパートを借りてくれる、という父の申し出には、
本当は感謝しなければいけないとこなのだろうけど、当時の私にはそんな余裕などなかった。


たった半年なのに、家を売るのを待てない父に腹を立て、
「そうしてもらう(父にアパートを借りてもらう)しかない」
と簡単に言ってしまう母にもイライラした。


そして母との電話を切って1時間もたたないうちに、更に私を
追いつめる電話がかかってきた。


それは父の職場の人(雇主と言えばいいのだろうか?)。

「○○ちゃん(父のあだ名)はマキを小さいころから育ててるから、本当の娘と同じやと思ってる。それはおっちゃん(職場の人)も同じ気持ち。あと少しで高校卒業やから、マキはそれまでおっちゃんとこに来ないか?」

ゾッとした。

家庭を顧みずに休日に釣りやスキーに没頭し、母をイライラさせ続けたのは確かに父だが、
その釣りやスキーに、休日のたびに誘っては家族との時間を引き裂いていたのはこの人なのだ。

父は気の強い人ではなかったし、この人のパワハラに勝てなかったから、
誘いを断ることさえできなく、離婚という結末になってしまったのだ。

(私と兄が離婚を勧めたんだけど…汗)

「学校からは遠くなるから、バイトはさせんけど、ウチのこの勉強を見てくれたら、2万円小遣いやるからそれでいいやろ?」
「おっちゃんとこに来たら、おばちゃんがちゃんとご飯も作ってくれるし、マキも寂しくなくて済むやろ」

絶対に嫌だった。


「え、いや、、ウチの事情を知ってるバイトのおっちゃんが、店の空いてる部屋を貸してくれるとも言ってるから…」
「それに、友達もいるし」

「バイトの人も友達も所詮は他人やぞ!」
(あんたも他人だよ)

「マキ!お前はウチに来た方がいいって」

断るのは難しそうだったので
「……考えとく」と返事をはぐらかしたら

「いやマキ、来い!わかったな?」
(命令かよ!)


そんで、すぐにまた母に電話。
もう半泣きだった。


友達が協力してくれる、という話も、バイト先のおっちゃんが店にある空き部屋を
貸してあげると言っていた、という話もどちらも本当で、母にもこの話はしたことがあった。


そして電話で母に言われたことは
「もう、そのバイト先の人に頼むしかないわね」

確かに母のこの言葉もわかる。

遠いとこへ行ってしまった母が戻ってくることもできないし、
今更離婚を取りやめることもできないのだから。


でもそうなんだけれども、学生で生活力も知恵もなく、いきなりこんな窮地に
立たされた私には、あまりにも冷たい言葉に思えた。


「お金なら送ってあげるから、自分でアパート探しなさい」
って言葉とかは出ないかね?
お金はかかるけど、少なくとも人に迷惑かけないのだから。


翌朝、バイト先のおっちゃんに電話して事情を話した。

私は泣いていた。


「どうせ今日は学校行く気にはなれんやろ?店に出てこい」

学校に行かずに店に行く。

そしてもう一度事情を説明して、「もしよかったら、お店の部屋を貸してください」と頼んだ。


「いいよ。風呂はないけどな(笑)」

おっちゃんは快く了解してくれた。


そのままバイトに入り、これからの事を考えた。

ご飯は店の隣にホカベンがあるからそこで買えばいいか。

お風呂は友達のとこに借りに行かせてもらわないとな。

洗濯は、、コインランドリー近くにあったっけ?


私のバイトは精肉店だった。
私が入るのは本店なんだけど小さな店で、
店員も私一人がいれば十分だった。

だから他の店員は大きい方の支店にいる。


19時を過ぎ、閉店時間なので店を閉めて中で最後の作業をしている時に、
ドアをドンドン叩く音がした。
誰だろう?と思って見てみると
そこには母がいた。


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両親の離婚~大嫌いな父親と二人暮らしを迫られた女子高生の思い出~

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私が高校3年の夏に、母と父が離婚した。

家族のことに無関心な父に母は毎日イライラしていて、
それまでに何度となく「家族会議」がなされた。


が、父の性格なのだろうが、母にどれだけ文句を言われても、
反発もしないが反省もない。
いつも何を考えているのかわからない
父に、母はますますイライラするのだ。


そんな日々が数年続いて、母に離婚を勧めたのは私と兄だった。

そして、そんな後押しもあって母は父と離婚し、遠い遠い実家へと
中学生だった弟を連れて行ってしまった。



その頃の私はもう母に叩かれることもなかったし、兄と喧嘩することも
なかったので、家族に対する嫌悪感は、揉め事の元凶である父だけだった。


血のつながっていない父。
兄は社会に出て一人暮らしをしていたし、
高校卒業までは私はこの人と一緒に暮らすしかなかった。



母は実家に帰るというのに、実家には冷蔵庫も洗濯機もあるのに、
それら必需品とも言える家電を運送業者に運ばせた。


冷蔵庫と洗濯機は絶対にないと困るもの。

結局私は友達の家から冷蔵庫1台と洗濯機(しかも二層式)1台を
2万円で買い取った。
(その子の家には、なぜか冷蔵庫も洗濯機も3台ずつあった)

母が引っ越してしまう前には食料の買い出しに連れて行ってもらい、
米や冷凍食品や肉、とにかく食材を1万円分くらい買いこんだ。


そして、上記にかかったお金すべて、私が払った。


父と二人で暮らすのはとてつもなく嫌だったが、母に言われたのは

「お父さんはほとんど家に帰ってこないんだから、半年間我慢しなさい」

だった。

ま、確かに平日父はほとんど家に帰ってこない人だった。

仕事の現場が遠いから、車中泊しているのだ。

だから私も仕方がない、と思えた。


が、しかし。

母がいなくなってから、父は1日おきに帰ってきた。


仕方がないから、私がお金を出して買った食材で晩ご飯を
出してあげる。

会話はない。
私も自分の部屋にこもっているから会話の
しようもないのだけど。


父が帰ってくると、洗濯物も出る。

仕方がないから洗ってあげるけど、内心めちゃくちゃ嫌だった。


そんな生活を10日間くらいして、母へ文句の電話をかけた。


「お父さん帰ってこーへんって言ってたのに、1日おきに帰ってくるやんか!」

でも母は「仕方ないでしょ。あんたはそこで高校卒業しないといけないんだから」と言うだけだった。


学校が終わったらバイトに行って、夜帰ってくる。

それから晩ご飯を作って洗濯をする、という生活は大変だった。

そこに大嫌いな父が帰ってくるのだから、私はストレスでいっぱいだった。


父と二人で暮らすようになって2週間後の夜、父から電話があった。


「家のローンを払っていけないから、そこの家を売ろうと思う。でもマキは高校卒業しないといけないから、マキが嫌じゃなかったら高校の近くにアパートは借りてあげるから、卒業するまで一緒に暮らすか?」

はぁ?!あと半年待てないわけ?

と思いながら、電話を切った後に母に急いで電話した。


母に言われたのは

「そうしてもらうしかないでしょ」

だった。


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ムチで叩かれるお仕置きが一番怖くて痛かった

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ムチで叩かれるお仕置きは本当に嫌だった。

「ヒュッ」って空を切る音も、ムチが肌に当たった瞬間も、
そして何より、ムチを持った母が近づいてくる瞬間が恐ろしかった。


その痛くて恐ろしいお仕置きに、母は私や兄を加担させた。


例えば兄が何か悪いことをして、母が怒りお仕置きするときに
「マキ!ムチを持ってきなさい!」と言うのだ。


いつも部屋の隅においてあるムチ。

私はそれを取って母に渡す。

そして、あの「ヒュッ」という音と、兄の「やめて!」という涙声が聞こえてくる。


『悪い子はムチで叩かれる』というのが、私の中での常識だった。

兄をお仕置きするムチを母に持っていくときだけ、私は兄よりも
いい子だと感じれるのだ。


そして兄弟の中でただ一人“いい子”である弟は、
ムチで叩かれることも、ムチを持ってこさせられることもなかった。




小学生のころに持った小さな疑問
「何で私とお兄ちゃんはいっぱい叩かれるのに○○君(弟)は
悪いことをしても叩かれないの?」

母の答えはこうだった。


「子供は叩いても叩いてもいい子にならないっていうのが
あんたたちでよくわかった」


小学校中~高学年になると、母から叩かれることはなくなっていった。

でもそれは、叩いてもいい子にならないとわかったからではなく、
単に私たちが怒られるようなことをしなくなっていく年齢になってきた
からだと思う。


私は家族が嫌いだった。

喧嘩ばかり売ってきては、殴ったり蹴ったりしてくる兄が一番嫌いだった。


女だからという理由で、皿洗いや掃除をしてないと私を怒鳴り散らす
母が二番目に嫌いだった。


家族に無関心な父が三番目。


母にべったりくっついて溺愛されてる、マザコンな弟が四番目。


そして私が家族を嫌うように、家族の皆はダントツで私のことが
一番嫌いだっただろう。

もちろん私も、私自身なんか大っ嫌いだった。


兄としゃべっていたときに、「もしお母さんが死んだら泣くか」
という話になった。

「たぶん泣くと思う」と兄は言った。
たぶんと付ける時点で、
兄も私と同じように母のことを感じている部分があったんだろうけど、
私はその言葉に驚いた。


「私は全然悲しくないから泣かない」


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今も残るDV~タバコの火傷跡~

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母と違って父は穏やかな人だった。

大きくなって、穏やかな人ではなく、ただ私たちに
関心がなかったんだと気づくんですが(汗

少なくとも私は、ムチで叩く母よりも父の方が好きだった。


しかし、父との関わりがほとんどなかったので、好きかどうか
聞かれたら、どちらでもないと言うのが正しいのだろう。


そんな父に叱られた記憶は、たった二回。


一度目はまだ幼稚園に入る前に、私のわがままを黙らせるために
窓(団地の5階)から外に投げ捨てられそうになったこと。

(もちろんフリだとは分かっているが、当時の私は本当に投げられると
思っていた)

二度目は小学校の低~中学年くらい。

母の財布からお金をとったことがあった。
母は普段私を叱るときに
父に言ったりすることはなかったのに、その時は「お父さんに叱ってもらう」と言った。


私はお父さんはそんなに叱らないだろうと、「ちょっとラッキー」
くらいに思っていた。


母が父に言いつけ、父が私を呼ぶ。


肩肘をついて横になってテレビを見ている父の横に私は正座した。

私の左手をとり、父は穏やかな口調で言った。

「お母さんの財布からお金をとったのはこの手か?」
そして次の瞬間、吸っていたタバコを私の手の甲に押しつけた。


それはムチよりも痛く、みみず腫れよりもずっとずっと長い期間
痛み続けた。
そして大人になるまでその痕を残し続けた。

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