両親の離婚~大嫌いな父親と二人暮らしを迫られた女子高生の思い出~

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私が高校3年の夏に、母と父が離婚した。

家族のことに無関心な父に母は毎日イライラしていて、
それまでに何度となく「家族会議」がなされた。


が、父の性格なのだろうが、母にどれだけ文句を言われても、
反発もしないが反省もない。
いつも何を考えているのかわからない
父に、母はますますイライラするのだ。


そんな日々が数年続いて、母に離婚を勧めたのは私と兄だった。

そして、そんな後押しもあって母は父と離婚し、遠い遠い実家へと
中学生だった弟を連れて行ってしまった。



その頃の私はもう母に叩かれることもなかったし、兄と喧嘩することも
なかったので、家族に対する嫌悪感は、揉め事の元凶である父だけだった。


血のつながっていない父。
兄は社会に出て一人暮らしをしていたし、
高校卒業までは私はこの人と一緒に暮らすしかなかった。



母は実家に帰るというのに、実家には冷蔵庫も洗濯機もあるのに、
それら必需品とも言える家電を運送業者に運ばせた。


冷蔵庫と洗濯機は絶対にないと困るもの。

結局私は友達の家から冷蔵庫1台と洗濯機(しかも二層式)1台を
2万円で買い取った。
(その子の家には、なぜか冷蔵庫も洗濯機も3台ずつあった)

母が引っ越してしまう前には食料の買い出しに連れて行ってもらい、
米や冷凍食品や肉、とにかく食材を1万円分くらい買いこんだ。


そして、上記にかかったお金すべて、私が払った。


父と二人で暮らすのはとてつもなく嫌だったが、母に言われたのは

「お父さんはほとんど家に帰ってこないんだから、半年間我慢しなさい」

だった。

ま、確かに平日父はほとんど家に帰ってこない人だった。

仕事の現場が遠いから、車中泊しているのだ。

だから私も仕方がない、と思えた。


が、しかし。

母がいなくなってから、父は1日おきに帰ってきた。


仕方がないから、私がお金を出して買った食材で晩ご飯を
出してあげる。

会話はない。
私も自分の部屋にこもっているから会話の
しようもないのだけど。


父が帰ってくると、洗濯物も出る。

仕方がないから洗ってあげるけど、内心めちゃくちゃ嫌だった。


そんな生活を10日間くらいして、母へ文句の電話をかけた。


「お父さん帰ってこーへんって言ってたのに、1日おきに帰ってくるやんか!」

でも母は「仕方ないでしょ。あんたはそこで高校卒業しないといけないんだから」と言うだけだった。


学校が終わったらバイトに行って、夜帰ってくる。

それから晩ご飯を作って洗濯をする、という生活は大変だった。

そこに大嫌いな父が帰ってくるのだから、私はストレスでいっぱいだった。


父と二人で暮らすようになって2週間後の夜、父から電話があった。


「家のローンを払っていけないから、そこの家を売ろうと思う。でもマキは高校卒業しないといけないから、マキが嫌じゃなかったら高校の近くにアパートは借りてあげるから、卒業するまで一緒に暮らすか?」

はぁ?!あと半年待てないわけ?

と思いながら、電話を切った後に母に急いで電話した。


母に言われたのは

「そうしてもらうしかないでしょ」

だった。


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